[簡略史]メモ
◎ 天台 [請益僧] 圓仁 (延暦寺)
835年 (承和2) 第17次遣唐使舶(藤原常嗣大使)に
加えられ 弟子 惟正・惟暁と共に
838年 (承和5) 博多より 渡海....圓仁(45)、惟正(25)、惟暁(26)
日本を離れて、帰国まで 苦節 9年〜
天台山、五臺山ほか、各地を巡礼して求法。
天台、密教の大法・三部を授かり 大願成就。
※ “大唐の崩壊”に遭遇、混乱の中、 帰国直前、
武帝(会昌元年) [会昌の仏教弾圧] 日々 厳しく
845年 (会昌5) ようやく 登州、文登県 に 到り着く(青寧郷)。
8/24 [短い請願文].. (県令 長官に"旅行証明"を..)
〜〜山を越え、野を渡りて〜..
衣服は ぼろぼろに破れ、使い果した。
乞食をしても、ただ命をつなぎ..その間に
自ら舟を求めて 日本国に帰らして欲しい。
日本国求法僧 圓仁
※(匂当新羅所で食事)
◎ 847年 (承和14) 帰国。(9/18 博多、10月 太宰府、翌年 入京)